■Review ル・モンド紙/2004年7月
その笛は単なる楽器などではない。日本の水脈に晒され風化した石片だ。それは世代を超えて伝えられてきた記憶を呼び覚まし、風のささやきや海鳴りといった驚くべき音を紡ぎ出す。また、周囲の音と溶け合いながら、時に空間をも支配する。鈴木昭男にとって毎朝この笛を吹くことは、逆に自然な状態で存在する何気ない音を捉え、それらへの意識を高めることにも繋がっているようだ。数々の個展を通して、この柔和な美術家兼音楽家がこれまで私たちに提案してきたのも、このような体験である。「言葉以外のものにも耳を傾けながら、感じるままに、自然の中に自らを解き放ってみて下さい。」鈴木は言う。

竹、石、水、風、火。これらの要素から、鈴木は作品「baiser du vent(風の接吻)」のように繊細な音を奏でる、独自の楽器をつくりだす。風に揺られて石片が台座の頬を撫でると、澄んだ音色が静かに辺りを包み込んだ。「四元素は様々なことを教えてくれます。例えば、私自身は、うまく言葉にはなりませんが、生命の持つリズムや周期などといったものを学んでいます。」禅や神道の影響なのであろうか?作品はすぐにそうして解釈されるが、彼にとってそれは浅い見方でしかない。「西洋の人はよく、東洋思想の観点から私たちの作品を判断しがちです。勿論そういった考え方はどこかしら私の中に存在するので、そのような指摘を受けるのも無理のないことですが、私自身は特にそれを意識して作ってはいないのです。」

彫刻家ザツキンの記憶を留めた美術館において“共鳴”をテーマに制作するに当たり、鈴木はまずこの作家の足跡を辿ることから始めた。ザツキンも年月を過ごしたロット県レ・ザルクにあるレジデンスは今日作家たちを受け入れているが、鈴木はそこで彼と同じように歩き、木々と対話した。「ザツキンの直彫りからは彼の木に対する関心の高さを感じ、大いに感銘を受けました。彼は木を“読み”、その成長や生命のリズムを深く理解していたのではないでしょうか。そこで私は竹を使って彼と同じ試みをしてみようと思いました。ちなみに、私が選び取ったのは古い竹です。これは人も同じですが、若いものが年とともに変化を繰り返していく一方、古いものは既に、自分の内に完成されたリズムを持っていて、より深みがあるものです。古い竹からは、自然の中にある全ての音を聴くことができます。」

カオティックなミニマリズムである。コンクリートと竹という意外な組み合わせから成る彫刻を前にして私たちは、すぐにでもその音色に身を委ねたいという衝動にかられるが、それは間違いのようだ。もちろん、これは触れることのできる作品である。しかし、少し待って欲しいと作家は言う。大切なのは、「触れることより、これは一体何なのか、どんな音がでるのか、まず想像してみることです。今日私たちは、何かをする前に想像力を働かせるということをしなくなってしまいました。」ミステリアスなその笑みは、彼の困惑を表しているのだろうか?「私は忙しい現代の人々が、耳でなく心でリズムを感じ取ってほしいと思っています。」

“街を聞く”ことをテーマに据えた“点音”(“oto”は音、“date”は野点つまり戸外での茶の湯を意味する)も、同じコンセプトの上に立っている。彼は、人々がしばし“立ち止まり”、「生まれつき持っていた無垢な感覚、聴覚を取り戻す」ことを望む。「だからといって、人々の感覚を教育し直そうなどという考えは全くありません。ただ、そういったものの見方に共感して下さる方が存在したら、それはとても光栄なことですが。この作品を、何かが得られる場ではなく、単純に、さまざまな不条理から自由になるための一つの訓練の場とでも考えていただけたら良いかと思います。」“見ないこと”と見ること。子供たちの歓声、蔦の葉のささやき、轍の響きに注意深く耳を傾けること。それらを実践すべく彼は、モンパルナス地区の片隅の教会や歩道橋、袋小路や未知の場所へと、私たちをいざなう。(ポイントの一つである)駅を臨むアトランティック公園では、列車の機械音とすすきのざわめきが溶け合っている。ちなみにjoncは日本語で“susuki”というそうだ。Susuki, Suzuki...。彼は“感じる”葦なのである。


〈エマニュエル・ルーク(日本語訳:山田真弥子)〉
*本記事を筆者およびルモンド紙に無断で転載することを固く禁じます。



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